煎茶生誕の歴史を伝える永谷宗円の生家を見学してきました。
宇治田原町にあり、細い道を車で進んでいったところにありました。
元文3年(1738年)に、新芽の茶葉を蒸し、焙炉(ほいろ)と呼ばれる器具の上で茶葉を手揉み乾燥させる青製煎茶製法をこの地で考案し、現在の日本緑茶製法の礎を築いたとされています。
宇治田原から歩いて江戸へ行商に行き、海苔屋さんの山本山と専売契約を取ったそうです。
また、緑色のお茶をのめる地域が幕府によって決まっていたこともあり、宇治では抹茶がのめたけど、宇治田原では飲めなかったことから、宇治田原でも緑色のお茶をのみたいという思いで煎茶の製法を15年の歳月をかけ、あみだしたと教えてもらいました。
宇治田原でも抹茶がのめていたら、煎茶の技術革命は起きなかったということかもしれません。